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私の人生を変えた一枚のレコード

私が出会った一枚のレコードが転機となり、その後の人生を一変させた。その回顧録を綴ってみたいと思う。(三味線回顧録カテゴリ内) もちろんブログですから日々の出来事も書いていきます。

朗読キャラバンにゲスト出演

今日は江東区深川のブックカフェ&イベントスペースそら庵で開催される、関西の詩人・永井ますみさんの朗読キャラバンにゲスト出演します。
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場所は清澄白河駅と森下の間、清澄白河駅から運河を越え森下側に渡り、運河沿いに隅田川方面に歩くこと、新小名木川水門を超えほぼ突き当りまで。
芭蕉庵史跡展望庭園の隣にある印刷工場をリノベーション(?)したお店、そら庵。
  1. 2012/06/17(日) 11:03:17|
  2. コンサートから
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感謝台湾音楽會ツアーその10(台北交流会)

(台北交流会その1)

行天宮を後にしてタクシーで会食会場となる中国料理の店「鼎城餐廳」へ、台湾でも人権活動家として重要人物となっている、曹さん、蔡さん、郭さん、リン・マイルスさん、そして今回の音楽會でお世話になった津村葵さんも参加して下さった。

交流会① 交流会③

交流会④ 火焼島
矢谷さん、津村さん、隆二郎さん、竹勇、リンマイルスさん
      郭さん、曹さん、蔡さん、土山さん

以前に送っていただいた白色テロ時代の証言ビデオを観ていただけに、なかなかお会いできない重要人物との会食会はたいへん貴重であった。曹さんからはご馳走になった上に、人権の歴史を記録したDVDをご恵贈いただいたが、その中には監獄島(火焼島)と言われた緑島に監禁された人達と、受難者を救ってきた人権活動家の歴史が詰め込まれていた。今は観光地化されている美しい島にも、ついこの前までこのような悲惨な歴史があったとことを改めて知り、また人間が人間を不当に裁くという、人権を無視した独裁政治の恐ろしさに驚愕する。今でもシリアなどでは考えられないような虐殺があったりするが、人が人を愛し、地球全体を平和で自由な世の中にするためにも、歴史的事実を認め、自分たちの出来ることでいいから、音楽や言葉を通して少しでも世界に伝えて行きたいものだ。隆二郎さんはその歴史を知った上で立ち上がり、音楽を通して実際に行動に移した活動をして来ている。隆二郎さんがその人権活動家の一人であることに敬意を表したいし、今回ご一緒出来たことを誇りに思う。思っていても行動が伴わなければ何も起きないのだから、私も三味線の演奏を通して、これからもそれを訴えて行きたいと思っている。
次に私が三味線愛好家達との交流会を控えていたので短時間ではあったが、「これからの人権活動イベントにはぜひとも三味線でお手伝いしたい!」と約束してお別れとなった。


(番外編)津軽三味線・台北交流会から

 私が感謝台湾音楽會ツアーに行くことをfacebookに書き込んだら、台湾の三味線愛好家である陳さんから友達リクエストがあり、「ぜひ台北で交流会を持ちたいので寄って欲しい!」とのメッセージが入った。陳さんは何と私の知り合いの演奏家の小比田氏の弟子だそうで、4年ほど前から台北に教えに行っていたらしい。ということで、陳氏は愛好家の仲間を集めて交流イベントを企画、何とポスターまで出来あがって送ってくれたのだ。(ポスターの作者はCarter Chouさん)

交流会②交流会⑥

場所は台北市松江路にある「救國圑」というところだそうで、津村さんも一緒に行って下さることになった。会議室のような部屋には多くの愛好家が集まっていたが、ここで初めてfacebook友達の陳さんと御挨拶。また同じfacebook友達の任達康さんがビデオを撮ってくれていた。今回は愛好会の一人Ling Taiさんが流ちょうな日本語で通訳を務めてくれた。まずは御挨拶に一曲「新じょんから節」を披露。それから今回の音楽會に来た経緯などをお話し、何曲か披露した後で、愛好家グループが「六段」という曲を合奏で聴かせてくれた。津軽三味線仲間が集まると必ず弾くというこの曲を、台湾で聴くことになるとは、本当に嬉しい限りだった。しかもこれだけ演奏出来るとは素晴らしいことだ!台湾の方々が日本の津軽三味線を好きで愛して弾いて下さったいることに心から感謝です。謝謝!



交流会⑤

三味線に関する知識なども語ってワークショップのようになったが、喜んでもらえたようで本当に楽しい交流会になった。帰国便の時間も近づいて来たが、グループの皆さんから写真撮影やサイン攻めにあって、結局ギリギリまでお付き合いし会場を後にした。Ling Taiさんが松山空港まで送って下さって助かったが、本当にこの4日間の台湾ツアーは内容の濃い充実した音楽會だったと思う。まさに人と人との繋がりを求めて、その心が繋がった感謝台湾の音楽會ツアーであった。きっかけを作っていただいた永井ますみさん、ご一緒させていただいた小林隆二郎さん、矢谷トモヨシさん、千松幸夫さん、彼末れい子さん、土山恵子さん、村上桂子さんと朋子さん、そして台湾でサポートしていただいた多くの方々にあらためて御礼を申し上げたいと思います。
お世話になった台湾の皆さん!本当にありがとうございました。非常感謝!!

毎日新聞①

*これも出会った一枚のレコードからの恩恵です。

END
  1. 2012/06/12(火) 22:50:34|
  2. 感謝台湾音楽會レポ
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感謝台湾音楽會ツアーその9

5月13日(日)帰国日
(都蘭の朝)

台東県東河郷郡都蘭村の朝が静かに明けた。

都蘭⑨

シャワーを浴びてから村を散策することに。近くに素食食堂というのがあったので覗いてみると、たまたま隆二郎さんと矢谷さんが食事をしていた。私も簡単な鶏肉ご飯とチマキを頼んだがなかなか美味しかった。(約70円)近くのお寺に参拝しながら町を散策するが、年寄りに道を聞けば日本語で話してくれるし、本当に親切だ。農協などもあって、忘れた日本がそこにある!というような、本当に素朴な感じで落ち着く村だった。

 都蘭⑧ 都蘭⑦

都蘭11 都蘭10

いよいよ都蘭を後にし、タクシーで台東空港まで向かう。
台東空港からは緑島への飛行機も出ていて、温泉もあるのだと隆二郎さんが話してくれた。
今度は緑島へも行ってみたいものだ。

台東空港② 台東空港①


(台東~台北へ)(台北から)
台北に着くと、ここで彼末さん、村上さん親子とは別行動となりお別れとなるが、音楽會ツアーを同行し、旅を共有した仲間として本当に名残惜しいが、日本での再会を約束して別れた。
 帰りにせっかく台北に来るのだから、ということで、隆二郎さんや矢谷さんとも以前から親交のあった台湾の人権活動家の方々との会食会をすることになるのだが、時間があるので台湾でも有名な台北市中山区に位置する関帝廟「行天宮」を観光することになった。

行天宮④ 行天宮
行天宮⑥ 行天宮③
行天宮② 行天宮⑤

今回は音楽會がメイン、観光も少ないので人気スポットを見学できるのは嬉しい。多いときで1日に2万人以上が訪れるとされる、台北地域でも人気の高い観光寺院のひとつだそうで、人気の最大の理由として、ご本尊が三国志でおなじみの関羽雲張が、商売の神様「關聖帝君」として祀られているからである。それにしても参拝の熱気は半端ではなく真剣そのもので、台湾人の信仰心の強さを感じ取れた貴重な時間だった。

その10へ続く
  1. 2012/06/12(火) 08:29:00|
  2. 感謝台湾音楽會レポ
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感謝台湾音楽會ツアーその8

台東から

 台東駅に着くと、やはりこちらは暑い!駅前では熱帯地方の果物(パイナップルやマンゴー、バナナ等)が売っていて女性陣はそちらの方へお買いもの。

台東① 台東②
フルーツ

今晩お世話になる原住民シンガー達卡鬧(タカナウ)さんと奥様のHomi Maさんが迎えてくれたが、隆二郎さんと達卡鬧(タカナウ)さんは旧知の仲らしく、駅に一人でいた隆二郎さんを見つけて驚いたらしい。車中では「竹勇!あなたのことはテレビで観て知っている!」と盛んに言っていたが、どうもこちらのサテライト番組で流れていたらしいのだ。

(都蘭から)
 御夫婦が経営している民宿風ホテルに到着してから、木の皮で作った製品を展示しているという御両親の工房へ案内してくれた。そこには手製のジャケットや帽子などが展示してあったが、どれも素晴らしい作品だった。呑んで呑んで深い友達になるのだ!と椰子の実ジュースや精力酒等?で歓迎を受け。また日本語も流ちょうなので盛り上がって楽しく交流が出来た。
 
都蘭① 都蘭②

(月光小棧から)
それから会場まで行くことになるが、会場は都蘭山の上にある「月光小棧」という野外ステージだ。バックに太平洋を望む絶好のロケーション。すでに先発のミュージシャンの演奏が始まっていて、多くの観客で賑わっていた。Cafeあり、展示ルームありの芸術的パフォーマンス会場と言っていいだろう。こんな素晴らしい会場で演奏させてもらえるのか!と興奮して嬉しくなった。

月光 月光①

先発ミュージシャンが終えたところで音響チェックを済ませる頃は日も暮れて照明が当たり、幻想的なステージが浮かび上がる。センターのオブジェは原住民アーティストの作品だ。いよいよスタート。こちらでは別に通訳が用意され、隆二郎さんの挨拶から歌が始まると会場が一体となってラブピース&フリーダムを合唱。原住民シンガー達卡鬧(タカナウ)さんの飛び入りもあり、矢谷さんの歌でも皆が一緒になって盛り上がった。

月光③ 月光⑦

土山さんの沖縄三線~彼末&村上ユニット(金孔雀)の演奏も最高潮。建物の上から観ていた私も熱いもの込み上げてならなかった。観光で参加同行してくれた村上朋子さんもこの熱気に包まれて満足だったようだった。

月光④ 月光⑤

そして私の出番が来て舞台に立つと、客席からは「山本さん!頑張って!」と大きな拍手で迎えられた。台湾に来て最高の出迎えを受けて感激。東北被災地に対して、台湾の人達から多くの義援金を寄せて下さったことへの感謝の気持ちを伝えるべく、心を込めて演奏させていただいた。謝謝!台湾。

月光⑥ 月光⑧

最後は、これからの復興を願い、全員で「上を向いて歩こう」を演奏合唱、会場が一体となって盛り上がり、最終日のライブも大盛況の裡に終えることが出来た。
 台東は原住民の村として有名だが、演奏後も原住民の踊り等を観ながら楽しく盛り上がった。ここでは日本の東北で作品展をやりたいという流木アーティストとの交流もあり、日本に来た時には一緒にコラボレーションをしましょう!と約束して会場を後にした。

月光all

宿泊先に帰ると土山さん以外の女性陣は先に休んでしまったが、男性軍はまだ呑み足らず、かなり酒豪のHomi Maさん、達卡鬧(タカナウ)さんと呑み交わしながらギターと歌あり、矢谷氏のジャンベあり三味線ありの楽しいコラボレーションが展開された。

都蘭③ 都蘭⑤
都蘭④ 都蘭⑥

そのうち原住民の仲間達も集まってきて彼らの歌を披露してくれたりして盛り上がり、「呑んで呑んで呑まれて呑んで・・・・・」そしていつの間にか夜は更けていったのだ。

その9へ続く
  1. 2012/06/12(火) 00:15:14|
  2. 感謝台湾音楽會レポ
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感謝台湾音楽會ツアーその7

5月12日(土)(3日目)(嘉義の朝)

 朝6時半頃、爆竹などの大音響とともに目が覚めた。何事が起きたのか?暴走族でも来たのか?と思って表に出てみると、何と盛大なお祭りパレードが繰り広げられていた。聞けば近くの地蔵廟に祀られている薬の神様「神農大帝」の生誕を祝う一年に一回のお祭りだそうで、ラッキーな日にぶつかって嬉しい限り、この騒音?で皆が起きて来てしまった。銅鑼や太鼓に中国楽器の生演奏を乗せたトラックに長身の神に扮装した仮装行列などなど、留まるところを知らないほど延々と続いて来る。台湾のお祭りパワーを全身で感じられた素晴らしい朝となった。
祭り① 祭り②
祭り③ 祭り④
祭り⑤

嘉義のお祭り映像はこちら


(嘉義~台東へ)
大満足したところで次の会場のある台東に向かうため台湾鉄道の嘉義駅へ。玉山旅社でのライブの様子がまた新聞に載ったということで駅の売店で新聞をゲットし皆で喜ぶ。列車到着まで駅のそばのCafeで一服。隆二郎さんは一足先に台東へ向かった。のどかな海岸線を走り、途中から窓外を見ると、白色テロで受難者が流さていたという緑島がかすかに浮かんで見えた。

記事 緑島

その8へ続く


 

  1. 2012/06/08(金) 23:43:01|
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感謝台湾音楽會ツアーその6

(Cafe玉山旅社にて)

Cafeは有名な阿里山森林鉄道北門駅舎の前にあった。この駅舎はやはり日本時代に作られたそうだが、旅情あふれる駅舎の前は広場があり、駅舎の脇には以前使われた客車が2両置かれ車内がのぞける。駅舎そばでは、夕涼みの地元老人がお喋りをしていたりするようなのどかな場所だ。
阿里山鉄道 玉山旅社12

玉山旅社も統治時代の日本家屋で10数年前まで旅館であり、北門駅が阿里山登山鉄道の旅の起点だった頃は賑わっていたそうである。店頭には今晩のライブの看板があり、いよいよだな!という感じだ。店内はレトロな雰囲気で、60-70年代頃のアンティークが良く似合い、テレサ・テン(鄧麗君)の台湾デビュー当時のレコー ドジャケットが飾ってあったり、気のきいたBGMを聴きながら珈琲を飲むお客様もいる。2階が会場になるスペースだが、テーブル席と座敷になっていて30名も入れば一杯になるくらいだ。
玉山旅社③ 玉山旅社

軽く音響チェックを済ませてから教師会館の方へ戻り、軽く食事をということで地元の方が行きつけの屋台に連れて行ってくれた。地元住民が食事するような場所なのでリーズナブルでとても美味しい。
玉山旅社14 玉山旅社15

 Cafeに戻ると少しずつお客様が集まり始め、開演時間には立ち見が出るほどの満席状態。司会通訳を津村あおいさんにお願いして、まずは隆二郎さんの挨拶からだが、たまたまオーナーの余國信さんが原発反対の運動家でもあることから、福島原発のことにも触れた熱い語りとなった。台湾では「原発」のことを「核電」と呼んでいる。日本も核電と呼ぶようにすれば恐ろしさわかっていいのだが・・・・・。
核電

 小林隆二郎&矢谷トモヨシコンビの歌はここでも熱く盛り上がった。そして土山さんの沖縄三線、彼末&村上ユニット(金孔雀)の演奏。今回は竹田の子守唄もコラボレーションさせていただいたが、とてもいい雰囲気だった。
玉山旅社7 玉山旅社10
玉山旅社5 玉山旅社9

私は刺し子の衣装に着替えて、東北の被災地からの御礼の思いを三味線に乗せて聴いていただき、最後は「上を向いて歩こう」を観客と一緒に歌い盛り上がりを見せた。
 玉山旅社④ 玉山旅社13

ここでも三味線愛好家の親子が聴きに来て下さり、話をしたら何と私の知人の演奏家の生徒であるということで驚いてしまった。そしてファンの方とも記念写真。演奏後は奥の広間で打ち上げをしたが、近隣の方々やここに宿泊しているバックパッカー、オカリナの演奏家・范欽章さんや、オーナーの余國信さんも交えて楽しく呑み交わし夜が更けていった。

蘇適然さん 玉山旅社8

その7へ続く
  1. 2012/06/08(金) 01:58:54|
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感謝台湾音楽會ツアーその5

(高雄~嘉義へ)
 
さて、今晩の目的地「嘉義」に向かうべく台湾鉄道左榮駅にタクシーで向かいます。
昨日の記事が自由時報に掲載されたという情報が入ったので左榮駅で新聞を購入して見てみると高雄版に大きく掲載されていた。
記事②

 駅弁と台湾ビールをゲットして台湾鉄道に乗り込むがほぼ満席状態。途中の駅で座席指定が切れたため席を立たなければならなくなったが、ここで乗り込んで来た若い女性が私の席と交代した。日本語が話せそうだったのでiphoneで撮影したポスター画像を見せたら、何と「科義大学は私の学校で、私も日本語応用学科です」と流ちょうな日本語で返して来たではないか。たまたま昨日はコンサートには行けなかったけど、一緒に写真を撮って欲しい!ということでOKしたが、まず不思議な出会いに驚いてしまった。
台湾鉄道
嘉義歓迎
 
 嘉義駅に到着してからバスで会場のCafe玉山旅社に向かおうと思ったが、そのバスが見当たらず、ここでは日本語を話す人も居なくて苦労することになる。同行した土山さんの堪能な英語と彼末さんの中国語に助けられて、何とかCafeから迎えの車が来てくれるということで安心。しばし待つと、今回のライブをアレンジして下さった余國信さんが迎えに来てくれた。今晩のライブのことは新聞に載っているよ!と見せてくれた。
嘉義新聞  教師会館

そして今晩泊まることになる教師会館へ。嘉義の下町的な場所にある教師会館は格安に泊まれる宿泊所らしい。(一泊千円程度)一段落して会場となるCafe玉山旅社へ歩いて向かう。


その6へ続く
  1. 2012/06/07(木) 23:19:05|
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感謝台湾音楽會ツアーその4

5月11日(金)(2日目)
学生食堂で朝食が食べられるというので行ってみると、格安で学食がゲット出来、読めないメニューを想像しながら台湾餅頼んでみるが、なかなかの味で満足。

学食

そしてお世話になった日本語応用学科の林先生と記念写真。

大学別れ

(高雄観光)
 今晩は嘉義のCafeでライブなのだが、午前中は時間があるので高雄市内の有名観光スポット「蓮池潬」を観光にすることになる。ここに来てやっと台湾らしい風景に遭遇。龍虎搭や春秋閣などの素晴らしい建物に息を呑む。

龍虎塔
 龍の口が入口、虎の口が出口になった龍虎塔は、1976年、春秋閣から約700 メートルのところに建てられた塔だそうで。外観は生き生きと躍動感にあふれ、塔内には龍塔の方に中国人が親孝行の模範と認める「二十四孝子」や悪人が地獄で受ける「閻魔大王審罰刑図」などの絵が、虎塔の方に「十二賢士」や天国の世界を描いた「十殿玉皇大帝三十六宮将図」などの絵が飾られていた。
春秋閣

春秋閣
 春閣、秋閣、同じ大きさのふたつの塔からなる春秋閣は、1951年、武聖、関羽を祭って建てられた。春閣と秋閣の間には、騎龍観音像が立てられ、騎龍観音像には、観音菩薩が雲の間から龍に乗って現れ、信者にその姿の像を現在の位置に立てるよう命じたという伝説があるそうだ。

啓明堂
 龍虎塔から少し北に歩くと、4階建ての立派な中国宮殿様式の建物が見えてきます。啓明堂という廓で、商売繁盛の神様であるとされる関羽を奉っています。啓明堂はこの春秋閣の本殿とされているそうで、春閣と秋閣、騎龍観音像があり、その前を巨大な龍がうねるように横たわっています。

啓明堂②  春秋閣②

その5へ続く
  1. 2012/06/07(木) 23:03:02|
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感謝台湾音楽會ツアーその3

18:30 開演

私は着替えがあるので別室で準備、着替え終わって紋付き袴姿で会場入りし、ちょうど始まったばかりの、舞台を観ることが出来た。隆二郎さんが通訳を交えて挨拶、矢谷さんのギターでラブ・ピース&フリーダムを歌い始めると途中から会場は大合唱になり、大歓声があがった。
051020122080s.jpg

素晴らしくて、私も熱いものが込み上げてならなかった。矢谷さんの歌も若い学生達の感性を刺激し、すごい熱気につつまれた。これほどまでに熱く伝え、伝わる仲間たちの歌を聴いて私も感激して熱くなった。土山さんの沖縄三線から彼末&村上ユニット(金孔雀)の演奏にも癒された。
大学2大学5

そして私の出番が来た。謝謝!台湾と挨拶をした後はもう無我の境地。持参した東北津軽の映像がプロジェクターで映し出されると、私は被災地からの感謝のメッセージを三味線に託し、心をこめて演奏した。
大学4

そして最後は復興を願い、メンバーと会場が一体となって「上を向いて歩こう」を歌って盛り上がった。皆の気持ちが伝わった本当に素晴らしい舞台であったと思う。
大学3

この様子は翌日の地元新聞「自由時報」にも大きく報道されたことで証明されるが、舞台が引けてからも写真撮影や校内記者からのインタビューや三味線愛好家からのレッスン希望などなど、その感動はいつまでも続いた。
 男性軍はその余韻を語りながら部屋で呑もう!ということになるが、ここは学校内、しかも広大な敷地のために外に買い出しに出るのもたいへんなのだ。たまたま私たちを献身的にサポートしてくれた学生の一人が「セブンイレブン」があるので買って来ましょうか?」という嬉しい申し出。しかし待てども待てども帰ってこないので半ばあきらめかけた頃、ビールとカラ揚げなどのつまみが届いた。この学生には今でも感謝しているが、とにかく台湾の人たちは親日家で優しい。お蔭で乾いた喉を潤して感動に浸ることが出来たが、床についた後、エアコンが故障したのか?と思うようなスゴイ音。大雨が窓を叩きつける音だったのだが、それもBGMとなっていつしか眠りに落ちていった。

その4へ続く

  1. 2012/06/07(木) 22:45:28|
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感謝台湾音楽會ツアーその2

5月9日(水)出発前日
10日の出発便が早朝7:10発のため、自宅からは間に合わないので羽田近くのホテルに宿泊。

IMG_3181s.jpg 東横イン



5月10日(木)一日目
早めに出て空港でゆっくり朝食を取ることに、出発前に申し込んであった海外用wifi接続機器をゲットした。これで現地に着いても矢谷さんや台湾関係者と連絡が取れる。
 機内荷物預かりのところで台湾人の女性から声がかかり「私の荷物が重量オーバーになるので友達になって分散して欲しい!」と言われたので二つ返事でOKした。座席が隣あったので聞いてみると台北に里帰りなのだそうだ。永年東京に住んでいるため日本語も流ちょうなので、私は台湾行の経緯を話して、「現地で演奏の前に挨拶をしたいから北京語を教えて欲しい!」と言ったら飛行中に丁寧に教えてくれたし、また東京では台湾料理の店を手伝っているので三味線持って遊びに来ないか?とも言われた。とにかくお蔭で3時間のフライトは楽しいものとなり、また東京で再会することを約束した。

羽田 機内

10:10松山空港着
タクシーで新幹線(台湾高鉄HSR)の駅まで行き、ここで高雄行きのチケットを買おうと思うが、高雄行きという列車が見当たらない!駅名は「左榮」なんだそうで、これではわからない訳だ。自動販売機でチケットをクレジットカード払いで購入しようとしたが、これも間違って2回押すなどミスばかり、窓口で払い戻しを受けようと事情を話し、苦労したが何とか乗車することが出来た。私は今までも海外に多く出かけたが、ひとりで裏街道?を探索するのが好きなのだ。だからこのような冷や汗場面はむしろ楽しく感じる。
無事に左榮の駅に到着。矢谷さんと連絡を取ると「間もなく着くので待っていて欲しい!」というので簡単な食事をして待つことにした。

IMG_3197s.jpg 左榮


14:36 ばとこいあ神戸のメンバーと合流、再会を喜ぶ。今回は彼末さんのフルス(中国楽器)や土山さんの沖縄三線、村上さんの電子ピアノとご一緒出来るのも楽しみだった。
国立高雄第一科技大学日本語応用学科の林先生が車で迎えに来て下さって学校まで向かう。大学は何と700ヘクタールもの広大な敷地内にあって、校内が高速道路で分断されているのには驚いた。こんな広いキャンパスを学生たちは自由に乗り降り可能な自転車で移動しているらしい。まず最初は世界三大熱帯花木の一つと言われる真っ赤に花咲く「鳳凰木」が迎えてくれた。
IMG_3200s.jpg DSCN2900.jpg


やはりここは亜熱帯、30度以上の蒸し暑さが身にしみる。事務所に通していただき、皆さんとご挨拶、そして記念撮影。今晩は大学内のゲストハウスに泊まることになるが、荷物を置いてから会場を下見リハーサルに行く。300人くらい入る大きな講堂。実は800人くらいの大きな講堂もあるのだが日程的に押さえられなかったとのこと。それでも素晴らしい舞台だ。キャンパスにはあちこちに音楽會のポスターが貼ってあり主催者側の意気込みも伝わってくる。林先生や学生スタッフたちが献身的に音楽會をサポートしてくれたお蔭だ。
ポスター① ポスター②

その3へ続く
  1. 2012/06/07(木) 22:35:40|
  2. 感謝台湾音楽會レポ
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感謝台湾音楽會ツアーその1

ブログの更新もままならず、しばらくぶりの更新となります。
5月10日~13日までの感謝台湾音楽會ツアーの様子を振り返ってみたいと思います。

感謝台湾音楽會ツアーに参加して(その1)

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神戸学生青年センター・ホールで開催された「ばとこいあ」のイベントに招かれて演奏したのは、2010年2月14日、ちょうど大阪に演奏の仕事があったので、「せっかく関西に来たのだから」と、永井ますみさんが声をかけて下さったのだ。永井さんとは東京の詩人イベント「心の温泉」で知り合ってからのお付き合い。「竹勇さんと一緒」というイベントを企画したので演奏に来て欲しい!という。この時、ばとこいあ神戸の皆さんとも初めてお会いし、70年代関西フォークのカリスマと言われた小林隆二郎さん、そして関西若手フォークシンガーの矢谷トモヨシさんとも楽しくコラボレーションをさせていただいた。そして隆二郎さんが台湾の支援についても熱く語ったいたのが印象に残っていた。

隆二郎 矢谷

中川五郎門仲

 この時はさほど気に留めていなかったのだが、私が中川五郎氏とコラボレーションしたこともあって、その後メールでの交流が始まった。マネージャーの千松さんからは隆二郎さんのCDや台湾関係のDVD、そして「ばとこいあ通信」などを送っていただいたことで、隆二郎さんが台湾の人権問題に深く関わり、若い頃に危険を伴う受難者救助もして来たことを知る。すごい人なんだなあ!と興味を持つようになったが、たまたま翌年も大阪に仕事があった関係で、永井さんが神戸芸術センターシューマンホールでのイベント「第2回 竹勇さんと一緒」を企画して呼んで下さった。
その打ち上げ会場で隆二郎さんや矢谷さんと再会し親しく呑み交わすことになる。
 
そして翌月に3・11の東日本大震災が発生。ほとんどのイベントがキャンセルとなり、生徒関係者にも被災者が出るなど、一時レッスンも出来なくなった。私に出来ることと言ったら三味線を弾くことと、大好きな東北の酒を呑むことくらいしかない!それから三味線を抱えて被災地への復興支援コンサートに奔走することになる。
 私は埼玉に住んでいるが、隣の千葉県でも甚大な津波被害が出ていた。若い頃に千葉の被災地近くに住んでいたこともあるので、旭市の避難場所で演奏させていただいたのだが、その時弾いた東北の曲が被災者の方々にたいへん喜んでもらえて、私は逆にパワーをもらって帰って来た。「自分の三味線でも復興の役に立てるならば何処にでも行く!」と決心。関西、中国方面でも復興支援コンサートに呼ばれたり、昨年から今年にかけては殆どが復興支援コンサートやライブだったが、同時に隆二郎さんや矢谷さんも被災地東北への復興支援コンサートに奔走していたのだった。そして9月になって隆二郎さんから感謝台湾音楽會をやりたいので協力して欲しい!というメールが入った。
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竹勇さま

 ご無沙汰しています。

 私は5月と8月に被災地釜石と気仙沼にボランティアで入りました。その時に被災された多くの人たちから被災地へのいち早く高額な義捐金が送られた台湾の人たちへの感謝の言葉を数多くお聞きし8月には「この感謝の気持ちを台湾へ届けたい」との訴えを耳にしました。これは私が台湾へ行く機会が多く、多くの台湾の人たちとお会いすることがあることを友人の被災者から聞いたからでしょう。国は公には中国への配慮?とやらで感謝の言葉も述べていません。

一方台湾では5月に行った時、心から被災地の人たちの事を心配され多くの質問を受けました。そんな中で私は何とか台湾の人たちに感謝と現状をお知らせしたく「ありがとう台湾」音楽祭を企画し、台北市と高雄市で開催したいと思い至りました。そのためにはどうしても被災地東北を伝え知って頂きたいと思っています。東北の音楽と言えば津軽三味線ではないでしょうか。多くの義捐金を送って頂いた台湾の人に、その送り先である東北を感じて頂くためには竹勇さんの津軽三味線しかないと思っています。現在ばとこいあ神戸の有志(千松・矢谷・その他の表現者数人)で自費で行こうと話し合い、現地台湾の友人たちと相談しています。無理なお願いは竹勇さんにも自費のご負担をおかけしなければなりません。当然現地台湾では無料のありがとう音楽祭とし300人前後の会場と動員と機材の支援を台湾側にお願いしています。どうか無理を承知でのお願いです、竹勇さんが参加していただけれは実現可能の方向が見えてきます。ご一考下さいますようおねがいいたします。

小林隆二郎
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 私も台湾に対する政府のやり方にヤキモキしていたので、これは民間交流しかない!と、隆二郎さんの熱い思いに賛同した。それから彼は現地の音楽会場の手配など、台湾とのやりとりをして下さり、当初は11月頃の予定だったのだが、なかなか決まらなかった。私も生活があるので予約のイベントに穴を開けられないし、またレッスンも目いっぱい入っていたので、日程が早く決まらないと調整が取れないので困っていた。結局11月は実行できず、2月になってスポンサーが付いたので行けそうだ!という知らせ。しかしスポンサーが入院ということで、これもキャンセルとなってしまったのだ。もうこれは無理なのかな?と思っていたら、高雄市の政府が後援について大学での音楽會が開けるかもしれない!という嬉しい知らせが舞い込んだ。隆二郎さんは市長とも知り合いだし、台湾人脈ネットワークはスゴイものだと感服する。
 
実際には候補の大学もなかなか決まらずだったが、隆二郎さん他ばとこいあのメンバーは3月の時点で5月10日~13日に行くことを決定。それでも私はギリギリまで待つことにした。4月に入って私はプライベートでヨーロッパベネルクス方面(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)に旅行中だったが、台湾の件が気になって仕方なかった。ヨーロッパ滞在中に入った吉報が、国立高雄第一科技大学の日本語応用学科で出来る可能性、そして矢谷さんの知人関係の協力で、嘉義でのライブも可能かもしれない!という嬉しい知らせ。とにかく帰国してからでないと航空チケットの予約が出来ないので、旅行先から隆二郎さんとのやり取りが続いた。高雄でのコンサート決定は旅行中の4月19日、そして5月12日の台東ライブも決定したが、まだこの時点で11日の嘉義は未定だった。私は帰国した4月21日にネットで航空券を予約することが出来たので、単独で羽田から高雄まで行くことに決めた。その後、矢谷さんのネットワークを通じた交渉努力で29日になってやっと全日程が決定。ホームページにもPR掲載することが出来た。とにかくギリギリまで折衝が続いていたのだが、それまで現地との折衝を続けていた隆二郎さんと矢谷さんには大変なご苦労があったことと想像する。
 5月に入ると現地からポスターの原稿が送られて来るなど、いよいよ本格的な準備態勢に入って来た。facebookを通じてのネットワークも広がり、台北に住む矢谷さんの友人である、津村葵(あおい)さんが通訳などを全面的にサポートして下さること。また更にネットワークが広がって、台湾に住む人権活動家の方々との交流会が予定され、更には台北に住む三味線愛好家が私との交流会を持ちたいとの話も出てくるなど、近づく台湾行が楽しみになってきた。

その2へ続く
  1. 2012/06/07(木) 22:18:32|
  2. 感謝台湾音楽會レポ
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